誰かの為という勘違い。詩子の詩384
〜回転木馬〜
華やかで楽しげな
メロディ
沢山の人の笑顔
どれも幸せな
恐る恐るまたがって
上がったり下がったりを
繰り返す
みんなが私を
見ているの
みんなの周りを
私が回っているはず
なのに
みんなが私を
見ているの
みんなが私の周りを
回ってるように
見えた
世界の中心は私
私の周りをグルグルと
みんなが回っている・・・
ボクは馬じゃないよ笑
こんにちは。詩子です。
涼しいお盆になりました。
こんな寒いくらいのお盆てどれくらいぶり?
初めてかな?
又暑さは戻るけど。
★★ 愛とエゴ ★★
愛とエゴってとても間違えやすい。
誰かを心配する、
心配だからこうしてあげた。
心配だから機嫌をとった。
心配だから
大切だから
誰かを想う時、それは相手が本当に必要としていることなのか
それとも、自分の心配な気持ちを
どうにか治めるためのものなのか
意外とその時にはわからないです。
でも、あとで気が付いたりします。
全くの独りよがりだったのかも知れない
ということ。
愛と思って行った行為は、だだのエゴでした。
そんな事は意外と多いかもしれない。
でも、それに気づいた時は
なんだか、ガッカリする。
そんな事を一生懸命
考えなくてもいいと思うけど
発端には愛があるわけだし、相手を思いやって始まったことには間違いがないから。
今日はあえて書いてみよう。
自分の為にも。
★★ 始まりはいつも愛 ★★
はじまりはいつも雨って歌ありますよね、笑
思い始めは【愛】でした。
どこかから【エゴ】に変わる。
人間はそういうものでしょうか。
願わくば最初から最後まで愛のある行動をしたい。
そう思う時点でエゴイストっぽい笑
ただ、コイル状の遠心力のある渦のような
感情が外側に向いて発動して
それが、分散されるようなものなら
清々しいように思う。
そうではなくて、自分の中でそのコイル状の
エネルギーがグルグル回ってしまっている時は
いろんな想いがこんごらがり
うまい具合に外に放出できないような気がする、
言うなれば、前者が【愛】後者が【エゴ】
わかりにくい表現ですね笑
イメージの世界です。
【愛】は広く分散される、柔らかく温かく。
【エゴ】はキツくギューっと固まり、苦しい。
そんな感じ。
多分、【愛】を行っている時は放出している人も心地よいでしょう。
【エゴ】の時は心地良くはないでしょうね。
どんどん苦しみや心配が増す。
何が違うのか考えてみました。
★★ 相手に託す ★★
結局の所は、相手に主体を置くか、自分に置くか。
相手を【信頼】しているか否か。
という所なんだろうと思います。
もっというと、そういう自分を【信頼】しているかどうかにも関係していると思います。
そんな事を分かっていても、実際にそれを行えるかは別ですが。
世の中にはできる人もいるでしょうね。
お母さんとか、そういう出来る人いるかもなんて思ったり・・・
どうだろ?笑
色々かな?
相手の為
誰かの為
それは大きな勘違いなのかもしれない。
そっと見守って、助けてと言われたらさっと手を貸す。
その人を信頼して、きっと乗り越えられるからと信じてあげる。
でもいつもそばにいるよ、いつも見ているよと
そんなスタンスになれたらいいな。
★★ 今日の詩 ★★
今日は回転木馬の詩です。
楽しげな華やかな回転木馬
みんなが私を見て楽しそうに手を振る
私が回っているはずなのに
いつしか、私を中心にみんなが回っているように
勘違いをしてしまう。
楽しさと恐怖の表裏一体みたいな
詩になってしまいました笑
ウクレレ弾き語り成長記録です♪良かったら聞きに来てください🤗
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