詩と哲学的エッセイ〜楽に生きるヒント〜

心から湧き出た詩から楽に生きるヒントを読み解きます。

愛の形は色々。詩子の詩211

 

〜アイノカタチ〜


何の為に毎日が
あるのかと聞かれれば
それはお前たちの為

自分が果たせなかった
その思い、強く夢にかかげたよ

世帯を持ったからにはさ
雨風しのげる屋敷だけ
そういう訳にはいかないさ

何が欲しいかと聞かれたら
何不自由なく暮らしていける
そんな、安心が一番だ

暗いうちから出ていって
暗くなって帰る日々
帰って酒が飲めるなら
そんな事は苦じゃないさ

守りたいのは我が家族
それが生き甲斐だったのさ






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富士山🗻





こんにちは詩子です。
2020もあと少し。

街はもうお正月の準備で人が出ていますね。



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三嶋の何とかって公園(笑)






今日は父の事を書こうと思いました。

昨日はカトリックでは『聖家族』の日

そんな日に、何だかTVを見ていて(さんまの老人が出てくる面白いやつの番宣)

お年寄りの昔の自分宛のビデオレターを見ていたら
面白いんだけど、色んな人生あるなって思って。





そうしたら、父の事を何だか、ふっと思ってしまったのです。





父は中卒です。

6人兄弟姉妹の4番目
で、長男。

唯一の弟は
30代で亡くなってしまった。

あとの女性は強い人ばっか(笑)


父は子供の頃貧乏して
時代的にも食べるものも苦労してたようです。

なので、中卒ですぐに働き始めました。そして、弟の面倒も見ていたようです。


父は、このブログのはじめの方にも書いてるけど
結構酒飲んで暴言吐いて暴れる、そんな人でしたが


今思い返すと

真面目で、遊ぶ事もなく


仕事はトラック、タクシー、そしてバスと運転のお仕事をしていました。


昨日は、父の働きっぷりを
思い出したんで

そのような詩を書きました。






何だかんだと家庭は寒々しい空気感ではありましたが

父の目的は上の詩に書いたように、家族を何不自由なく
生活をさせる事だけ
だったのでしょう。




いつか、私が大人になった時に
父への複雑な感情を整理するために


『一生懸命働いて、育ててくれてありがとう。』

と言ったことがあります。






そしたら父は

涙を浮かべて

『なぁに、大変なんて一度も思ったことなんか無いさ、それが生き甲斐だったんだから。』


って言ってました。






そして、昨日のTVを見ていたら、何となく父のことを思い出して…

父は残業ばっかり
本当に残業ばっかり
してました。


その時代はしたいだけ出来たようです。





楽しみは帰って来て酒を飲みながらテレビ見る事。

飲みに出かけたり遊びに行く事などはなかった。





うちの主人は住宅関連の仕事してるんですが、
私の実家の住宅の書類で何かを頼まれた時に
私の父のその当時の年収を見たそうです。(今はもう83の父)




とてもとてもバスの運転手の年収じゃなかったって言ってました。
その時は私の耳にもあまり届かなかったのだけれども





今この歳になってみると、


どんだけ残業したんだろ…って
思っちゃいました。




それなのに、
家庭では文句ばっかり言われて
お父さん嫌い!とか言われて。



それでも、その気持ちを貫き通して…




唯一、定年した時に
現金で車を買っていました。

四駆でした。

へぇ、そういうの好きなんだって、初めて知りました。




偏屈で、ねじれた性格の父ですが
今思うと、本当に家族の為に働き尽くした父だなぁって思いました。


『愛の形』

は、人それぞれなんだなって思いました。


こういう事は

私くらいの年齢にならないと分からないものなのでしょうか。

何とも言えない気持ちになりました。





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これは我が家じゃないけど
父は家にこだわっていました。

3回もお家買い替えたんです。
すごいよね。





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