昨日までの私にさようなら。詩子の詩483
〜さようなら〜
流れゆく時の中で
一粒一粒が私の中に
溢れては流れていく
どんなに嘆いても
どんだけ行かないでと
叫んでも
昨日の私はさようなら
一瞬一瞬の記憶を
ポラロイドで納めても
否が応でも訪れる
更新の毎日
流れて流れて
追いかけて
流れて流れて
捕まらない
受け入れては
手放して
愛しても
執着しないで
この世の全ての
小さな粒の織りなす営みに
開いて閉じての繰り返し
銀河の星の瞬きに
劣らないほどの
命の流れの小船に乗って
いつでもゆらり
いつまでもゆらり
大好きなあの歌を口ずさみながら
『動的平衡』という本を書いていらっしゃって
この動画は養老孟司さんと【生命】について話していらっしゃいます。
頭の言い方は話が上手でとても理解しやすくて
こういうお話を聞くのがとても心地良くワクワクしました。
興味のある方は是非聴いてみて下さいね。
その中で【生命】のお話なのですが
私達の命というのは流れている。そういう事を説明してくださっています。
私達の細胞は新陳代謝を繰り返し、日々新しく生まれ変わる。
でも、特殊な実験の結果、新しく体内に入れた物質はそのままそこにとどまり、代わりに元々自分の中にあったものが外へ出ていくそうです。その私達の出した古くなったものは他の生命の一部となりそして又その生命の中に入りなそれの一部となり又その要らなくなったものは他の生命の一部となるそしてそれが回り続ける。
だから、生命は流れているのだそうです。
それ自体が生命現象だそうです。
昨日までの自分とは少し違う。
全く同じ状態の自分ということはあり得ないということ。
私はこのようなお話を聞くと色んなイメージが広がる。
私達は粒で出来ているしそれをざらっと並べ
広げれば全体である。
全てと繋がっている。
【個】と思っているのは私達だけ
全ては繋がって平面に並んでいる。
こういう生物学的な話は、全てがスピリチュアルと言われるものの考えと同じだといつも感じるのです。
私達は長い時間のスパンで見れば個体ではなく流動的に流れるものであり、もっといえば気体のようなものらしいです。