全てを自分の一部としてみる。 詩子の詩482
〜収穫の日〜
頭の上の籠は
いつでも水平に
保ちながら歩く
今日は収穫の日
どうしてみんなは
上手に歩けるの?
前を真っ直ぐ見てね
姉さんは言う
頭の上の籠を押さえて
籠は私の一部
一部だから落ちないの
何かがあって
落とさないようにと
心配するほど落とすんだよ
姉さんは真っ直ぐ歩く
頭の上の籠には
収穫した作物が沢山
全ては一部
全ては一部
デトックスという言葉をよく耳にした時期がある。
でもちょっと待って、もちろんそれは大切。
自分の中に自分じゃ無いものを入れるのは嫌だと思うし、不必要なものは入れないほうがいい。
けれど、まずその前に
この詩のような考え方もあるかもしれない。
どこかの国で頭の上に大きな籠をのせて
収穫をしているイメージで書いた詩。
頭の上にはどんどん作物が入り重くなるからバランスを崩す、そうすると中の作物は落ちてしまう。
笑顔で飄々と歩く様はそれをあたかも自分の一部にしているようだと感じた。
楽に生きる秘訣は
自分でないものが入ってくる際に
柔軟に先ず、一部にしてしまうということかも知れない。
否定的に身構えるより、悲しみや哀しみや乗り越えられそうもない感情も乗り越える必要はないと、YouTubeで宇多田ヒカルさんが言ってた。
その景色を自分の一部だと思えばいい。
ずっと変わらないものはなく、いずれその景色は変わる、その時が来るまでそれは自分の一部と思う。そう言ってたところが印象に残った。
それは俗にいう、受容だ。
受け入れるということだ。
頭にのせた籠も収穫が終わればその後は下ろすことになる。
のせている間、どれだけ自分の一部として歩いていけるかがポイントだ。
生き方が上手な人は日々そのように生きているのかも知れないね。