詩と哲学的エッセイ〜楽に生きるヒント〜

心から湧き出た詩から楽に生きるヒントを読み解きます。

種を撒き収穫をする事が目的ではない。詩子の詩479

〜ある朝〜

 

朝日がキレイだ

わたしの固まった土に

日が当たった

 

朝日が私に囁いた

今がその時と

 

長い間共に生きた

この土は何べんも耕したさ

 

表面をふわふわに

まるで寝心地良いい

ベットのように柔らかくする

 

無理な力は加えてはいけない

土が偏るから

 

ずっと耕してきたつもりだが

まだ奥に何かある

硬い、木の根みたいなものだ

これは厄介だ

 

でも、焦ることはない

私の土の中にあるものは

私の手で優しく

耕してあげよう

 

時には手伝いを呼ぼう

いくら私の土でも

手に負えない物もあるかもしれない

 

そして、その木の根のような

硬いものを

取ったことのある友人が

見つかるかもしれない

 

そういう時は素直に

手を貸してくれないか?と

頼むことにしよう

 

今日は朝日がキレイだから

この私の土をふわふわに

奥の方の木の根にも取り掛かる

ことにしよう

 

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どんな生き方をしても構わない。

心の奥深くまで考えながら生きる人もいれば

そんなことまでいちいち考えない人もいる。

人それぞれ。

だけど、これからの時代はそうはいかない。

多くの情報の中でどれが本物か、どれをチョイスして生きるか、それは自分が決めていかなければならない。

みんなが右を向いたから右だという時代は終わり

どちらに行くのも自由だ。

自分自身で選びながら生きられる。

その自分の感性というのはこうやって心の奥を探ったり、見つめたりする事が必要になってくる。

 

今までは表面上の土を耕すだけでみんなと同じ、当たり障りのない作物を作るのに必死だったかも知れない。

今、ベクトルは外へ向かうのではなく中に向かう時が来た。

深く掘り進め、何があるのかを見つけ、時には助けを借り耕して行く。

その過程で大きな収穫がある。

柔軟性のある鷹揚な温かな土(自分)が育つ。

その土に種を撒き収穫するのが目的ではない。

耕す過程を味わい、耕すほどに自分を知り

自分を知った分、他者がわかるようになるという仕組みになっている。

 

そこには理屈はない

あるのは体験のみ。

頭ではなく五感で感じ取り育ってゆく。

 

私達は自然の一部だということを思い出す。